高校と社会人では野球の規定

規定

高校野球と社会人野球では、どちらもおおむね公認野球規則とよばれるルールに沿って試合が行なわれますが、一部規定が異なる部分があります。

例えば、得点差によるコールドゲームについては、高校野球の高野連主催大会では地方予選会の準決勝までは、5~6回に10点以上、7回以降に7点以上の差がついた場合に適用され、全国大会では一切適用されませんが、社会人野球の主要な大会では決勝戦を除くすべての試合で、7~8回に10点以上差がついた段階で適用されます。

野球

また、近年はアマチュアの試合ではタイブレークの適用がすすんでいますが、これに関するルールも高校と社会人では異なります。社会人の公式戦では、準々決勝までは11イニング目まで延長しても決着がつかない場合、準決勝と決勝は試合開始から5時間が経過しても決着がつかない場合に適用され、1アウト・走者満塁の状態から攻撃をはじめます。一方、高校生の試合では国体と明治神宮大会で採用されており、9イニング目を終えても同点だった場合に、延長戦から1アウト・走者満塁の状態から攻撃をはじめます。高野連主催の大会は現時点ではタイブレークが採用されていませんが、実施するかどうかの検討はすすめられており、2018年以降に行なわれる大会から採用される可能性があります。

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高校や社会人選手の指導

指導

現在は元プロ野球選手が高校や社会人選手を指導できるようになりましたが、数年前まではプロとアマの断絶が続いていました。プロとアマの断絶期間はプロに入団すると、引退しても、高校や社会人選手を指導することができませんでした。

野球界

そのきっかっけになったのが1961年に起きた柳川事件です。ドラフト制度が確立されていない時代はアマ球界で有力な選手が見つかれば、プロ球団はいつでもスカウトして入団させることができました。アマ球界にとっては大事な大会前に大量の主力選手がプロに移籍することが問題となり、1949年に社会人野球のシーズン中である4月から10月までの期間はプロ球団はアマ球界から選手を獲得しない条件を織り込んだプロ・アマ協定が結ばれました。

しかし、1961年4月20日に当時日本生命野球部所属の柳川内野手を中日ドラゴンズが入団させたことでプロ・アマ協定を破りました。そこから、プロとアマの断絶が始まりました。

その後、アマ球界の意見を聞きながらドラフト制度を確立していくことで、1984年から元プロ野球選手の学生野球資格回復の道が開かれました。しかし、引退してから10年間は高校教諭として勤務したうえで、適性検査に合格したものという厳しい条件でした。その後、プロとアマの関係が修復され、研修を受講するだけで指導できるようになりました。

高校出身と社会人出身別のプロ野球

給料

高校を卒業し、そのままプロになった選手もいれば、社会人で活躍しようやくプロ入りした人もいます。ドラフトの下位指名であったとしても、サラリーマンの平均年収ほどの給料を高卒であっても社会人出身であってももらうことができます。それに対する気持ちの入り方の違いが野球にも影響を与えることになります。

高校卒業をして間もない選手の場合、契約金も相まってかなりの額を未成年でありながらもらうことができます。そのため、車を早々に購入し、それを乗り回す選手も出始めます。また、給料をもらって野球ができる有難味というものがほとんどの選手が分かっていないため、そうした気持ちがついプレーにも出てしまい、多くの選手が壁にぶち当たることとなります。

社会人出身となると、大学で指名されない選手が多く、仕事をしながら野球をする生活を送るため、野球ができる有難味、そして職業にできる喜びを噛みしめながらプロになることができ、そうした姿勢は即戦力選手としての活躍につながります。お互いにサラリーマンの平均年収だったとしても、お金をもらいながら野球ができる有難味という観点からみると、打ち込み方がまるで違い、キャンプでの過ごし方という点でもモチベーションの違いとなって現れます。